2013.8.31
〜中山道ウォーク(碓氷関所〜軽井沢宿)〜

2回目は暑いので高所に移動

ルートマップ
累積標高差:800m

平面距離(全行程):16.0km

ウォーキング時間:6:02

ウォーキング行程
0736横川駅-0747碓氷関所-0812坂本宿-0841中山道口-0920覗-1004一里塚-1100中山茶屋-1148/1213休憩-1231/1247熊野神社-1251/1302見晴台-1338軽井沢宿(つるや旅館)

なぜこのウォーキング
さて、中山道「制覇」の第二弾。当初は前回の続きの蕨宿から歩きたかったが予想最高気温が36℃なので、涼しい軽井沢宿付近にすっ飛ばしましょう。今回も息子と一緒です。

<過去の中山道ウォーク>
1回目(2013.8.4):日本橋-蕨宿





移動・ウォーキング記録
朝4時起きて、6時過ぎに軽井沢に到着しました。

帰りは非常な混雑ですが、現在は誰も人がいません。
軽井沢駅では始発?の新幹線を見学。
最初に軽井沢駅から横川駅へはJRバス(始発、6:59発)で向かいます。
バスは碓氷バイパスを走り、かなり下ります。

これを登りかえすと思うと本日はすごいぞ。
横川駅に到着。

当然ですが、ほとんどの客はそのままJRで高崎方面に向かいます。
まだ「峠の釜飯のおぎのや」ってここにあったのね。
JR信越本線はここから軽井沢駅までは新幹線開業で廃止された。

さて、ぼちぼち歩き始めますか。
横川駅のすぐ軽井沢寄りには鉄道の展示施設があります。
少し施設寄りを歩きますか。
EF63。

廃止前に一回だけ横川軽井沢間を乗ったことがあるが、これが連結されたことを覚えている。
周りは妙義山系の雰囲気です。
さて、碓氷関所にやってきまいた。

説明文を見ると、階段を上がったところは関所の建物があった場所で、門みたいなものは現在の道路にあった。
関所通過。
廃止された線路の一部が歩けるらしい。

そっち方面は中山道でないので、今回は歩かず。(下の左方面へ向かう道路)
薬師坂に入ります。

写真奥は薬師坂由来の薬師堂。
薬師の湧水。
上信越道を越えると・・・
第17宿場街坂本宿に到着。

蕨宿が第2だったので、だいぶ飛ばしました。(涼しくなったら続きを)
なんてことのない家にも、昔の屋号が記載されている。

これは「長谷川屋」。
これは公民館。
公民館の前には昔の屋号がすべて書かれていた。
この家なんて、昔の風情が残ってますね。

東海道と違い、中山道は昔の町並みが残っていることで有名。
坂本宿の住人に「軽井沢へ行くの?、がんばってね」と言われ、坂本宿を後にします。
律儀に中山道を歩くと、この細い道になります。
ここで少し道に迷い。

これが正しい道。
中山道はただのヤブ。
中山道口バス停にやってきました。

ここからは事実上の登山道です。
立派な登山道です。

昔の人は、荷物を担いだ人もいたんだよね。
「堂峰番所」を通過。

説明文では二軒の家と番所があったらしい。
送電線を通過。

ここからは急坂(刎石坂(はねいしさか))が続く。
柱状節理。

欠けた石でケルンが作ってあった。(かなりでかい)
刎石坂(はねいしさか)も終盤にさしかかると御覧の石碑。

当時でも相当の難所だったらしい。
この石垣みたいなものは昔の人が作ったのかな?
「上り地蔵下り地蔵」。

どこに地蔵があったかわからないが、旅人の安全と幼児のすこかやかな成長を見守っている、と書いてあった。
「覗」からのぞく坂本宿。

「坂本や袂の下の夕ひばり」と一茶が呼んだらしい。
「風穴」。

説明書きには「蒸気が出ている」ようなことが書いてあったが、そんなことはなかった。
「弘法の井戸」。

実際に水は溜まっていました。(が、飲む気はしない)
刎石茶屋跡。

四軒の茶屋があったらしい。
平安時代の碓氷坂の関所跡があったようで、東屋がありました。
「掘り切り」。

秀吉軍を待ち受けるために、街道の横を掘って狭くしたらしい。
南向馬頭観音。
すぐに北向馬頭観音
「一里塚」と書いてあったが、塚らしきものはなかった。
「座頭ころがし」。

岩がころがっているので、その名前がついたようだ。
ここは、次は明治天皇御巡幸道路と中山道とが分かれる場所「栗が原」。

群馬県最初の「見回り方屯所」があったそうで、これが交番の始まりだそうです。

奥の黄色テープが分かれた場所?
途中で一部景色が見えた場所。
「入道くぼ」と書いてあった。

説明書きもよくわからない。
山中茶屋。
その隣には、山中学校跡。
これから山中坂であるが、急ではないが、だらだらと永遠に続く。
謎のバス。
その奥には何かの建物。

以前は何かの施設があった?
「一ツ家跡」。

いじわるばあさんがいたらしい。
「陣馬が原」。

二回合戦があったらしい。
子持山。

ここで分かれ道があったらしいが、知らずに右の和宮降稼の際に整備された「和宮道」を行ってしまった。左が本来行くべき旧中山道でした。

まあ、中山道であることには変わらないのでよしとする。
息子であるが、ここら辺でへたり始めた。

なので、前回と同様に引いていく。
長いゆるやかな登りを歩き続けると、やっとこの場所に出た。

本来は熊野神社まで行こうとしていたが、熊野神社(碓氷峠)まではまだ1.8kmの記載で、息子はダウン。
中途半端なこの場所で休憩となった。

和宮道は非常に大回り。
簡易舗装路をだらだらと歩き、「仁王門跡」と「思婦石」。
やっとこさ、碓氷峠付近に着いたようですね。
碓氷峠の熊野神社。

いってみましょう。
これが本殿のようであるが・・・
なぜか、ちっこい社も多数。
雷が落ちても生きているくすのき。

パワースポット。
神社から見るが、ややガス。
息子が「国境」を越えましたね。
ついでに見晴台も見に行きましょう。
南東方面。
その右。
その右。
北西方面の浅間山。
あとは3kmほど下るだけであるが、息子は疲労の最高潮。

ガンバ。
芭蕉の句碑がありました。

「馬をさへながむる雪のあしたの哉」と書いてあった。
碓氷関所から約6時間で軽井沢宿に到着。

昔の人は健脚ですね。(息子はヘロヘロ)
軽井沢宿の人波を掻き分け、やっと座ることができた。

16kmで累積標高差800mも歩けばそりゃ疲れる。
さすがに、息子は軽井沢駅までは歩けそうにないので、バスで移動。
駅近くにとめた車に到着。

夏休み最後の思い出になったかな?

今回のウォーキングで学んだこと
・昔の人はかなり健脚。

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