2013.8.4 〜中山道ウォーク(日本橋〜蕨宿)〜
プロジェクト始動、一回目は二番目の宿場町の蕨宿まで

ルートマップ
累積標高差:140m

平面距離(全行程):20.5km

ウォーキング時間:6:58

ウォーキング行程
0641日本橋-0705/0725朝食-0737神田明神-0758東大赤門-0905とげぬき地蔵尊-0953/1027板橋宿-1040板橋-1114志村一里塚-1147/1234昼食-1253戸田橋-1339蕨宿

なぜこのランニング
左足の故障で登山が非常にやりにくい状況である。そこで、足に優しい街中歩きの企画として「中山道ウォーク」を考えた。内容は、中山道を細切れに歩いていき、全道を踏破するというもの。とりあえず、今回は日本橋から行ける所まで行ってみましょう。

<過去の中山道ウォーク>
なし。





移動・ランニング記録
電車で東京駅にやってきました。

ここから日本橋まで歩きます。
シャッターには日本橋の絵。
日本橋が見えてきましたね。
さて、日本橋です。

今日は暑くなるけど、どこまで行けるかな?
すぐに「東京市道路元標」。

すべての街道の基点です。
まずは中央通りを歩く。

今も昔も繁華街です。
「○○橋」という地名が度々出てくるが、橋はない。

埋められてしまったのね。
神田駅を通過。

JRも昔は堀であった。
ここでちと迷う。

正解は左のビルとビルの間。

当時の中山道は非常に分かりにくい。
朝食はイートインができるセブンイレブンで。

現代の「茶店」です。
明治時代の万世橋駅の面影を残す赤レンガの高架橋沿いを歩く。
昌平橋を渡る。

江戸時代にもあった橋です。
江戸時代には、さすがにクライミングジムはないよね。
湯島聖堂を通り・・・
神田明神が見えてきました。

旅の安全を祈願しに行きましょう。
神田明神は江戸市街の北端。

恐らくだけど、江戸時代の人も江戸を離れるに当たって、ここで旅の安全を祈願したのでしょうね。
安全祈願をする。
続いて、東大赤門が見えてきました。

当時の前田家の門で重要文化財。

入りましょう。
息子が東大に入った!(だけ)
安田講堂。
再び中山道を歩く。
巣鴨駅付近には、旧徳川慶喜の屋敷があったそうです。
「おばちゃんの原宿」こと、地蔵通商店街は旧中山道。
とげぬき地蔵尊が現れたので入ってみましょう。
調子が悪い部分を清めると良くなるそうです。
息子もやってみた。
ゆるキャラ「すがもん」。
都電を通過。
JR板橋駅を通過。
ここ付近から御覧の看板が度々現れる。

もう板橋宿に入ってます。
首都高を越えると、御覧の旧中山道の板橋宿が続きます。
本陣があるというので言ってみたら、マンションであった。

あったのは石碑と説明文だけ。
息子がぶーたれてきたので、この「板橋地域センター」で休憩でもしましょう。
入ると、無料でお茶もいただけ、宿場町の説明もありました。

いろいろお世話になりました。
さて、ヒットポイントが100まで回復したという息子は、板橋の由来となった板橋を通過。
縁切榎。
旧中山道は国道17号に合流。
志村一里塚を通過。
すぐに国道17号とは分かれます。
当時の難所といわれていたという「清水坂」を下ってきました。
また国道17号を渡り、御覧の道に入る。
息子が疲れたといい始めたので、このスーパーでラーメンの昼ごはんとする。

現代は都合よく茶店があるので困らない(しかもクーラー付き)。
新河岸川を通過。
息子がのろいので息子にはザックのヒモを持ってもらい、引いていくことに。
戸田橋を通過。

当時は渡し舟がありました。
律儀に旧中山道を歩いてみましょう。
ここが渡し舟で渡った先の中山道。(左に入る)

どおってことのない道です。
すぐに川にさえぎられ、国道17号に戻る。
国道17号に戻ってからは、息子が筋肉痛になってきた。

なんとか蕨宿の入口に着いた。
蕨宿(民族資料館)に到着。

本日は五里(約20km)で行程終了となりました。

京都に着くのは、いったい何時になるのでしょう?

今回のウォーキングで学んだこと
・長い行程の始まりです。

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